大梅寺・蕃山 (29 画像)
●大梅寺
瑞雲霊亀山祥岩大梅寺(臨済宗)の開山雲居希膺禅師は諸国の山野を行脚し、全国に173ヶ寺を開山。天皇にも禅を講じ、後に朝廷から大悲円満国師と謚名(おくりな)された京都妙心寺の禅宗の高僧である。
藩祖伊達政宗が瑞巌寺を創建し開山に懇請されたが固辞して請けず、27年間も待ち続けた政宗の遺言に心打たれ、遂に松島に来て瑞巌寺の開山となり、その誠意に報いた。
1650(慶安3)年の冬、蕃山の麓に来て、白鹿堂跡に瑞鹿堂繋船亭と称する小庵を結び終焉の地に定めた。この蕃山をこよなく愛で何時も大梅寺から登って来ては此所で坐禅を組んだ。「熊や鹿がよく遊びに来て呉れた」と自ら漢詩に書き残している。1651年、仙台藩2代藩主伊達忠宗が寺領寄進を申し出たが、雲居は寄進を受けなかったという。
1659(万治2)年入滅。78歳。蕃山の山頂に葬られる。遺命により墓石を建てなかった。元禄年間(1688~1704)、4代藩主綱村が蕃山をのぼった際、雲居の塔所(たっしょ)に寺領土50石と扶持米を与え、現在の寺号に改めた。1700(元禄13)年には綱村によって、雲居が葬られた上に堂を建て常寂光塔と称す。現在の堂は1853(嘉永6)年の建立。
檀家をもたない修業寺で、夏目漱石の小説「草枕」にも「陸前の大梅寺へ行って修業三昧」とある。
また、境内には1687(貞享4)年に綱村が伊達家の別業として造営した、郷六御殿の一部が移築されている。

●蕃山
蕃二蕃三郎の伝説に因んで蕃山(標高357m)という。盤山とも書く。
山腹の竹藪の巨石の下から、滾滾(こんこん)と清澄な泉が豊かに湧いていた。その美味に、この山の白鹿を巻狩に来ていた藩祖伊達政宗(1567~1636)が、唐の詩人韓愈(かんゆ)の詩の一節「盤谷の間、泉甘くして土沃ゆ」から、「盤山」「甘泉筧」と名付けた。以来、茶の湯として有名であったが、折立団地の造成で惜しくも涸れた。
蕃山は昔から信仰の山、御野掛け(ハイキング)の山として、権現森や太白山と共に仙台市民に親しまれて来た山である。
山腹の臨済宗大梅寺は、松島瑞巌寺を退山した雲居国師(1582~1659)が此所の白鹿堂跡に来て庵を結び終焉の地に定めた寺で、1650(慶安3)年に創建された禅宗の古道場である。
尚、平安時代に弘法大師(774~835)が、蕃山に霊場を開こうとして天狗に妨げられ、高野山へ去ったという伝説も残っている。

●郷六御殿

宮城県仙台市青葉区茂庭綱木裏山4
公式ホームページ

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