井伊掃部頭邸跡(前加藤清正邸) (8 画像)
室町時代の末期、この公園一帯は太田道灌がよんだ「わが庵は松ばらつゞき海ちかくふじの高根を軒端にぞ見る」という歌の松原の一角に連なっていた。
江戸時代初期には肥後熊本藩主加藤清正の屋敷となったが、加藤家は2代忠広の時に改易され、屋敷も没収された。
その後、近江彦根藩主井伊家が屋敷を拝領し、上屋敷として明治維新まで利用した。歴代当主は、掃部頭(かもんのかみ)を称した。
幕末の大老井伊直弼は、万延元(1860)年3月に、この屋敷から外桜田門へ向かう途中、水戸藩士等に襲撃された。
明治以降、弾正台ついで参謀本部の所在地となった。この地における日本水準原点は、明治24年に設けられた。昭和27年この地は、衆議院に移管され、35年には憲政の功労者尾崎行雄を追念して、ここに浄財で憲政記念館が建設された。

・櫻の井:東京都千代田区永田町1-1
・憲政記念館:東京都千代田区永田町1-1-1

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