松山中学校・勝山学校跡 (3 画像)
この地は、江戸時代に藩校明教館があり、明治以降は松山の近代教育の拠点となった場所である。正岡子規や秋山真之が通った勝山学校や松山中学校は、いずれも明教館から生まれ、様々な変遷を経て現在の番町小学校、松山東高等学校にその歴史が引き継がれている。
司馬遼太郎著「坂の上の雲」(文藝春秋刊)には、小学校にあたる勝山学校で新しい教育が行われていることが評判になり、子規や真之もこの学校で学んだことが描かれている。
明治28(1895)年に夏目漱石が英語教師として赴任したことでも知られる。
「わかるゝや 一鳥啼て 雲に入る」の句は、漱石が松山を去る際に詠んだ句である。

愛媛県松山市一番町4-3-4

クリックして画像を拡大





トップページへ inserted by FC2 system