鞆の浦 (56 画像)
鞆の辺りは、紀伊水道・関門海峡・豊後水道からの潮の満ち引きがちょうど境目となる地域で、干満の差がもっとも大きく、鞆の浦は古代以来、瀬戸内海交通の上で潮待ちの重要な拠点であり、物資流通の拠点でもあった。内海を航海する多くの船はこの潮に乗っての航法であったので「潮待ち」をここ鞆でおこなった。
安土桃山時代の毛利氏領国下では、尾道とともに直轄地として代官支配が行われたが、江戸時代には木綿帆の普及で地乗り航路から沖乗り航路へと発達したことにより、経済的拠点としての機能をやがて尾道に譲っていくことになる。それでもなお内海交通の拠点港としての意義は大きなものがあった。
明治以後、鉄道の開通、汽船の就航等により「潮待ち」をする船もなくなったが、江戸時代の港にはある常夜燈・雁木(がんぎ)・波止場・焚場(たでば)・船番所などの設備が、鞆の浦では全国で唯一これらがすべて残されているため、その歴史的価値は高い。
鞆は政治・外交の面でも重要な役割をはたしており、室町幕府将軍足利義昭が織田信長によって京都を追われたときに、鞆の地にとどまって信長打倒の機をうかがっていたことはよく知られている。

●枡屋清右衛門宅(坂本龍馬宿泊跡)
●対仙酔楼(頼山陽日本外史起稿史跡)
●福禅寺対潮楼
●御舟宿いろは(旧魚屋萬蔵宅)
●太田家住宅
●坂本龍馬いろは丸展示館
●平賀源内生祠


・広島県福山市鞆町鞆
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